【浅子佳英、宇野常寛、門脇耕三/書籍】これからの「カッコよさ」の話をしよう(角川書店、2016/1/9読了)



 本屋で購入して以来、自宅で眠っていた本書を引っ張り出し、読み終わりました。本書『これからの「カッコよさ」の話をしよう』は、批評家、建築家、インテリアデザイナーの3人による対談集的な書籍。ファッション、建築、インテリア、そしておもちゃ等、様々な身の回りのモノの「カッコよさ」についての議論がおさめられています。

 著者の浅子佳英、宇野常寛、門脇耕三の3名は、ともに70年代生まれの中間的な世代です。だからこそ、古すぎず、かといって新しすぎず、両者の良い点をミックスした感じの思想、発想のもとで、これからの「カッコよさ」について話してくれる書籍です。同書の中で、個人的に興味を覚えた部分を紹介します。

<目次>
1.「コト」の一元性と「モノ」の多元性
2.IoT時代の「モノ」から「コト」へ
3.まとめ





1.「コト」の一元性と「モノ」の多元性


 現在、「IoT」というキーワードが世の中に氾濫しています。いわゆる、「モノのインターネット」のことです。情報通信技術の中で注目されている技術的なものです。

 この現在の「IoT」のトレンドとして、新聞、雑誌、書籍等を読んでいると、「モノ」ではなく「コト」(体験やサービス等)で新しい価値を生み出していこうという考え方が喧伝されていると認識しています。

 こうした世の中の認識がある中で、本書では次のようにバシッと言っている。


(同書P213-214)「コト」の抽象性、形のなさというのは、どうしても「気持ちよさ」や「正しさ」に向かいやすい。
(同書P221)20世紀の文化人たちは「モノ」は画一的で、「コト」のほうが多様だと思っているかもしれないけど、いま実際に起きているのは逆で、圧倒的に「コト」のほうが画一的、「モノ」のほうが多様になっている。


 上記の発想、考え方にはハッとさせられます。確かに、新聞・雑誌等が言うように「コト」が大切だとしても、多くの人が行う「コト」は、それほど違いはない。気持ちいいこと、正しいことに収斂していく。

 例えば、どこかのレストランに食事に行ったとしよう。そこで出された食事を写真に撮り、フェイスブックにアップロードする。そして、外食に来ましたと友人知人等のお友達つながりに伝える。この行動(コト)は、振り返ってみると、皆がステレオタイプ的に行っている、定番の行動となっている。

 コトが大切であると言っているものの、実際に多くの人たちが行うコトは、気持ちいいこと、正しいことに収斂し、いかに一元的(多様性がない)になっていることか…

 では、気持ちいいこと、正しいことに収斂していく「コト」を多元的なものにするにはどうすべきなのか?

 他者とは違う魅力やカッコよさを伴う「コト」はどうやって実現できるのか?

 同書では、そこで「モノ」の多元性が重要であると主張している。例えば、件の食事の写真アップロードの話で言えば、レストランの食事の写真ではなく、食材をこだわり、調理法に細かな気を使い、工夫を凝らした自作料理であったならば、写真をアップロードするという「コト」に、多源性が伴うようになるのではないかと。

 単にレストランで出される食事ではなく、自分自身のこだわりの自作料理。そこにその人ならではの「コト」が生み出されるのではないかと言及されている。

 なるほど。

2.IoT時代の「モノ」から「コト」へ


 上記の思想を踏まえると、単なるモノからコトへの変化だけでは、今後のIoT時代いカッコいい「コト」は生まれない。一元的で、ありきたりな「コト」になってしまう。コモディティな「コト」になってしまう。

 件の食事写真のフェイスブックへのアップロードはまさにそれ。

 他者の「コト」と自分の「コト」に違いを生み出し、それを魅力とするためには、自分の「モノ」へのこだわりとその多様性(他者との違い)を軸に、自分の「コト」の魅力を作っていく発想が必要なのかもしれない。

3.まとめ


 本書『これからの「カッコよさ」の話をしよう』をとても面白く読むことができた。同書は、上記で取り上げた視点以外にも、プラットフォームとコンテンツの視点、ファッション、建築、インテリア、そしておもちゃ等様々なモノについている。

 とても面白い。こんなこだわりな3人なのかと。しかしながら、如何せん、3人の思想や話が難解であるのが、本書の課題であろう。

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