【人工知能(AI)/随筆】日本の今後の人工知能技術(AI)の研究開発の方針。「第1回 次世代の人工知能技術に関する合同シンポジウム」

 本日は、朝から夕方まで、お台場にある日本科学未来館 未来館ホールにて、「第1回 次世代の人工知能技術に関する合同シンポジウム」なるシンポジウムが開かれている。

 総務省、文部科学省、経済産業省、国立研究開発法人科学技術振興機構、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構と、そうそうたる国の各種機関が主催となり開催されているものです。

 午前中のセッションでは、日本経済団体連合会、情報通信研究機構、理化学研究所、産業技術総合研究所などの講演があった。

 日本経済団体連合会のような経済界の話はわきに置いておくとして、情報通信研究機構、理化学研究所、産業技術総合研究所などの研究機関の講演では、今後の人工知能技術の研究開発成果を実りあるものにしていくうえでの、日本の方向性を示唆する研究者の意見を知ることができた。

 個人的に理解したポイントは、大きく3つある。






<目次>
1.データを集まることが大切。ただし、質の良いデータ。
2.データ量、モデルではなく、大切な競争軸は学習方法。
3.基礎研究から実業までを迅速に進めること。

1.データを集まることが大切。ただし、質の良いデータ。


 昨今、ICTの進展に伴い、膨大なデータが世の中で生まれている。だから、データは既に大量にある。それをいかに使っていくかを考えていかなくてはならない。多くの人がそう考えている。確かに、その考えはある意味の真実である。

 ただし、このシンポジウムの講演者、特に研究者の意見は、上記のような考え方を認めつつ、実はデータは足りない、という。

 具体的にどういうことかというと、機械に学習をさせ人工知能を作っていくためには、同じ状況や環境を前提とした上での、大量データが必要である。しかし、実はそれが現状ではないという。

 例えば、医療現場のデータを考えてみる。患者の患部の画像データは既にたくさんある。しかし、各患者で病気も違うし、年齢や性別、身体的特徴等はバラバラ。つまり、人工知能で学習するために、状況や環境がそろった、理想的なデータという意味では、わずかしかデータはないのである。

 これでは簡単には、効果的な人工知能による学習はできない。

 昨今、トヨタとPFNとが、自動運転車のデモを披露している。しかしそのデモは、状況や環境がそろった理想的な環境を設定した上での成果である。リアルな街中の交差点等で、同じようなことをしても、現状の技術では、恐らく自動運転車は上手く動かない。

2.データ量、モデルではなく、大切な競争軸は学習方法。


 大量のデータを学習させることで、人工知能は賢くなる。その際に、データの種類を増やすことが有効である。例えば、これまでは画像のみを大量に与えて学習させていたが、そこに音声や気圧、振動など、種類の異なるデータを加えていけば、学習精度ははるかに高まるであろう。

 ただし、そこには大きな課題がある。データの種類をdとすると、そのdの大きさに応じて、10のd乗のオーダーで計算量が増加するという。

 さらに、現状の精度の高い学習のためには、教師あり学習が必要となっている。つまり、正解データをあらかじめ作る必要がある。現時点ではその作業は人手である。とすると、10のd乗のデータを人手で扱う必要があり、これは実現的ではない。

 こうしたことがあるため、教師あり学習とは別の、より効率的な学習方法が求められている。データの量や、ディープラーニングのようなモデルとは別に、効率的な学習方法が今後の人工知能の技術開発の競争ポイントになるという。

3.基礎研究から実業までを迅速に進めること。


 最後に、研究の進め方である。米国では、巨大なIT企業が存在し、研究者、大量データ、そして人工知能の活用場面を、それらIT企業内で所持している。

 一方、我が国の企業等では、研究者、大量データ、そして人工知能の活用場面を、すべて所持している組織は存在しない。研究者だけはある、大量データだけはある、人工知能の活用場面(つまり、ニーズ)だけはある、そんな組織しかない。

 なるほど、それでは人工知能の研究、そして応用はこれでは進んでいかない。

 そこで、研究者と大量データとニーズをつなげることが不可欠である。そのためには、多様な組織間の柔軟な連携が必要である。ただし、これは何も現在新たにその必要性が叫ばれていたものではない。

 米国では、特にIT分野では昔から、行われてきたことではないか。逆に、日本が苦手としてきたことではないか。

 日本はこれまで苦手としてきた「多様な組織間の柔軟な連携」。これをいかに進められるかが、競争力保持・強化のためには求められている。

 人工知能という、諸外国に覇権を握られてしまえば、本当の意味で大打撃を受けるという脅威を突き付けられ、やっとのことで、日本は重い腰を上げようとしているのではないか。

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