映画韓の行動でわかる人々の品? 映画「22年目の告白-私が殺人犯です」を見て…

 昨日、伊藤英明、藤原竜也が出演している映画を某映画館で見てきた。人によって好みがあろうが、個人的には高評価な映画だと感じている。

 この映画は、特にネタバレを気にする人がいると思われ、深くないようについては申し上げるつもりはない。

 この記事で書きたいことは、映画の内容ではなく、その視聴の仕方である。映画館に足を運び、大きなスクリーンで2時間程度の映像を楽しむ、その時の人々の振舞い方である。

 自ずと、その人々の普段の品のようなものが見て取れると感じており、以下では、気になった点を2つ。





1.いち早く帰ろうと席を立つ?なぜ?


 映画作品は通常、最後のクライマックスに向かって、ストーリの緊張感を高め、そして最後に感動や感心などを生み出す構成となるのが普通であろう。

 視聴者は、最後のシーンを見て感動し、その余韻をエンドロールなどの時間で楽しむ。映画館では、多くの人がそのような形で映像を楽しむであろう。

 その中で、エンドロールが流れている数分間。エンドロールが始まった瞬間に、席を立ち帰り始める人が散見されるのである。彼らはなぜすぐに帰ろうと行動するのであろう?

 彼らは映像作品を視聴し、不満があったのであろうか?作品自体に不満があり一刻も早く、その場を去りたかったのであろうか。

 そもそも、エンドロール中はまだ館内はライトがついていないため暗く、歩くには危ないと思わないのかしら?また、エンドロールを見ながら映像作品の余韻を楽しんでいる多くの人がその場にいる。彼らに対して失礼と思わないのか?余韻を楽しんでいるのに、周囲でガサガサ荷物を片付けたり、視界を横切ったり…

 そのあたりの安全の意識や、他者への配慮がない人が多い。なぜ、我先に外に出ようとするのか?見ていると、それなりに年配の人が多い様子である。

 ロジカルに理解していないというより、価値観として、エンドロールの時間を楽しむという感覚がないのかもしれない。単に、満員電車で座席をいち早く確保しようという振舞いと同じく、いち早く映画館から出ていきたいと考える…


2.なぜ映画が始まって数分経つのに、座席にいないのか?


 映画の導入部分。そこもストーリ上の布石として、非常に重要な部分であると思う。映像作品のはじまりをどのように見るのかは、その作品を楽しめるかどうかの大きな分かれ目であるとも、個人的には感じている。

 しかし、映画館で多くの人たちと同じ場で映像作品を見ていると、不思議な光景に出くわす。必ず、数分遅れて会場に入り、着席する人の姿である。

 電車が遅れて映画館に来るのが遅れてしまったのであろうか?それともチケットを購入するのに時間がかかってしまい、時間に間に合わなかったのか?

 遅れてくる人を見る限り、遅れてきたことが当然といった様子であり、映像をはじめから見ることにあまり価値を置いていないのではないかと疑いたくなる。

 逆に、彼らが遅れてくることで、導入部分をじっくり見たいという人は迷惑をこうむることになる。映像を見ている視界の端に、遅れてきた人の動きが映り、どうしても映像の世界に没入する邪魔になってしまう。

 遅れて映画館に入ってくる人は、そしてそれが当たり前のようにふるまう人は、映像を楽しむという感覚がないのではないか?単に時間を映画というツールを使って消費したい人なのではないか?そんな風に感じてしまう。