緊急事態解除に対する捉え方に大きな隔たり

本日、安倍首相より東京・神奈川・埼玉・千葉及び北海道の緊急事態が解除され、日本全体で緊急事態解除と晴れてなりました。緊急事態宣言解除と言われた場合、世間の多くの人は何を感じるのか。

少なくとも、個人的には、大きな危機が去ったと理解しても良い気もするが、全ての危険がなくなったわけではないのも事実であろうと思うのです。その点で、現状でも、そもそも自粛が必要な状況であることは変わらない。数は大幅に少なくなったとはいえ、東京都では日々、新規感染者が発生しているのだから。

緊急事態宣言=自粛が必要、つまり緊急事態宣言解除=自粛は不要、と理解してしまっては、かなり危ないような気もする。

世の中の日々とのここ数日の行動を見ていると、緊急事態解除に対する捉え方に大きな隔たりがあるのではないか。そんな気がしているのです。

典型的には、下記のような捉え方があるのではないかと推測されます。





〇緊急事態宣言解除=やったー!思いっきり遊べる
既に緊急事態解除前の休日には、湘南海岸などには大勢の人が集まったと聞きます。ニュース報道で。

そうした報道では、若者のインタビューというのが典型的な報道スタイルとなるのですが、そうした若者の弁として「今までずっと真面目に自粛してきたのだから、もう出ても大丈夫と思ったから」というコメントもしばしば。

確かに、これまで真面目に自粛生活してきたことに対しては「頑張ってたね」といっても良い気もしますが、これまで頑張ったからもう大丈夫と、各個人で判断するのは違うでしょう。

個人の見える範囲は限られていて、自分の判断だけで、もう自粛は不要と判断するのは危険です。自粛が不要と判断するのは、専門家会議や政府等の十分に多くの情報や科学的知見に基づく判断によるものだと思うのです。

緊急事態宣言解除が自粛不要という考えに直結してしまうのはとても危険な気もするのです。


〇緊急事態宣言解除=あー、テレワークが終わってしまう…
一方、世の中のサラリーマンの中には、このように緊急事態宣言解除が心地よいこの49日間の生活を脅かす宣言に聞こえてしまう人も多いことでしょう。

日本生産性本部の調査によれば、今回のコロナ禍をきっかけとしたテレワークを今後も続けたいと考えている人が6割にも上ると言われています。

それなりに多くの人々が、実のところ、緊急事態宣言下の生活の中に、今までになり心地よさを感じていたという事実も見逃せません。朝夕の混雑電車での通勤・通学がない、社内の人間関係に煩わされないなど、多くのメリットがあったのでしょう。

ただこの手の発想では、緊急事態宣言解除で、様々なものがコロナ禍以前に戻るだけのような気もしています。テレワークがなくなり、元の通勤・通学の日々が始まる…とかね。それで本当に良い?


〇緊急事態宣言解除=早く稼がないと生活が…
今回のコロナ禍では、働きたくても働けない、稼ぎたくてもお客が来ないといった経済的な危機に直面した人々も多いのは事実。そのため、一時も早く、働いてお金を稼ぎ、生活を立て直さなくてはいけないと考える人もいます。

こうした経済的な損害をリカバーすべく、緊急事態宣言解除=積極的な経済活動という側面も必要でしょう。しかし、冒頭でも申し上げた通り、まだ完全に危機がなくなってしまったわけではありません。

無理に経済を元に戻すことにより、感染症に感染してしまっては、元も子もありません。働いて稼がなくてはならないのに、感染により2週間以上も働けなくなれば、それこそ詰んでしまいます。

その意味で、政府による困った人たちへの給付等の支援が重要なのだとあらためて感じるところですが、なかなか給付自体が一度どかない実情に難しさを感じます…



以上のように、3つほど、緊急事態宣言解除の典型的な捉え方の例を考えてみました。もちろん、人によってもっと多様な捉え方もあろうかと思いますが…

いずれにしても、もっと重要なこともあります。緊急事態宣言解除は単なる通過点でしかないという視点です。緊急事態宣言解除後も、様々な点で活動自粛をしていく、もしくは行動パターンを変えていく必要があることを、もっと多くの人が意識する必要があるでしょう。

政府としては、「新たな行動様式」という言葉でそれを伝えようとしていますが、なかなか多くの人にその考えが伝わっていないように思います。言葉が悪い?…

少なくとも、感染症の危険を極力減らす自らの行動パターンを確立していくまでは、並行して様々な行動を自粛することを継続することが求められるでしょう。晴れて、感染症の危険を極力減らす自らの行動パターン確立した暁には、実のところ、自粛という感覚すら残らない世界になっているのかもしれません。